脱ゆとり、受験競争は永遠に無くならない―元塾講師の思う事

脱ゆとり

2015年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)で、「脱ゆとり」教育を受けた小中学生の成績が過去最高得点をたたき出したそうです。

文科省は授業時間数の増加が成果を出したものとみて、現在改定作業を進めている学習指導要領についても学習内容は減らさずに現行路線を継続する方針、ということです。

ゆとり世代の当事者たちからは、「私たちは失敗作ですか」「実験台にされた」と一部非難の声が上がっています。

ゆとり教育の理念はすばらしかった

知識の詰め込みを減らして、その代わりに思考力を育てる。ゆとり教育の目的そのものは、とても素晴らしいものでした。

ゆとり以前の「詰め込み教育」は、ほとんど記憶力テストのようになっていて、「なぜ?」「どうして?」という疑問を持つ余裕はありませんでした。

私は、ゆとり世代の人たちと関わっていて、本当に素晴らしいと思うことがあります。

詰め込み世代が反射的に「そういうものだ」と受け入れるようなことに対して、自然に「どうしてこうなってるんだろう、本当に不思議だ」と答えの無い問を自分で立てて、何か法則を見つけ出そうとしたり、試行錯誤し続けたりできるところです。

こういう思考力やクリエイティビティ、知識欲とも違う知的探求心は上の世代ではまれでしたが、ゆとり世代の人は自然に出来ているように思います。

ゆとり教育は超エリート教育だった

ゆとり世代はスポーツや知能の世界で多くの天才を排出していますが、「どうでもいいことを考えたり、やってみたりする時間的なゆとり」があったこと、が大きいのではないかと思います。

ゆとりの時間をただボーッと過ごしたり、塾に通って自主的に詰め込み教育を受けたりした子供が大多数だったと思いますが、その時間でスポーツでも数学でもプログラミングでも、何か打ち込む物があった子供は抜群に伸びやすい。

ゆとり教育は、一部の天才を育てるのには抜群の教育方針であったと思います。

ゆとり教育は早すぎた

ゆとり教育の方針は素晴らしいし、実際にゆとり教育を受けた人たちも一部狙い通りの成果を上げているにもかかわらず、ゆとり教育は失敗とみなされました。

それは、社会の側がゆとり教育の成果を測るモノサシを持っていなかったためです。

目指すものが違っていたのに、古いモノサシで、詰め込み度合いを測ったために「これは失敗だろう」ということにされてしまいました。

ゆとり世代をジャッジする旧世代の目が追い付いていなかったという事だと思います。

受験システムが追い付けなかった

失敗の理由はもう一つあります。

「考える力」を育てるという学校の教育方針に、受験システムが付いてこられなかった点です。

大学入試で思考力や創造力を測ろうとするときに、完全に自由記述式にしてしまうと採点などが非常に煩雑となります。

そのため、思考力や創造力を測るためにマークシート式で、結局は「答えの存在する問」しかかけることが出来ません。そうなると、問題の出し方も答え方もパターン化されます。

結果、思考力も「こうきたら、こうするんだよ」とノウハウ的に暗記させるという詰め込み式な教え方が大学受験指導の現場では行われることになりました。

受験の壁

ゆとり教育でも、受験という壁を壊すことはできませんでした。

ゆとりは教育格差を増大したという声がありますが、詰め込み教育でも基本の構造は変わりません。

大学に募集定員がある限り、受験戦争は永久に無くなりません。

その競争に乗っても乗らなくても、自分で考えて生きていけるということが大事なのだと思います。

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